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アンバサダーが導く「アンリオトリロジー」の世界

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生産者との出会い アンリオ、フェーブル、ブシャールで状のソムリエが現地フランスで出会った生産者たちの想いを届けます。
Domaine William Fevre 第1回 「先代ウィリアム フェーブル氏の時代〜そしてドメーヌの今

ウィリアム フェーブル氏とディディエ セギエ氏
ウィリアム フェーブル氏と
ディディエ セギエ氏

朝シャンパーニュを出発し、昼前にドメーヌ ウィリアム フェーブル(以下フェーブル)に到着。 ここでは、日本でも既にお馴染みの醸造責任者、ディディエ セギエ氏(以下セギエ氏)が温かく迎えてくれました。
試飲ルームに入ると、早速「改めてではありますが、まずはドメーヌの歴史を少しご説明しましょう。」と言って、セギエ氏が話し出しました。 

フェーブルは、文献で250年前までその歴史を遡ることができるドメーヌ。先代(実際には先代という表現は適切ではないかもしれませんが、セギエ氏は敬意を込めて敢えて先代と呼んでいました)のウィリアム フェーブル氏(以下フェーブル氏)はドメーヌの10代目にあたります。フェーブル氏は、彼の父の反対を押し切り、自ら1950年代終わりに家業を継承しました。財務省の仕事とドメーヌ仕事を兼任していた1950〜60年代には、既にドメーヌの畑の苗木の植え付けも始めていたそうです。フィロキセラや戦争の影響でシャブリの畑が減少していた当時にフェーブル氏はグランクリュ、プルミエクリュ畑を拡張し、また植え替えて70年代にはほぼ現在と同じ所有面積を誇るドメーヌとなりました。
80年代に入り、ドメーヌの仕事に専念していましたが、98年に70歳を迎えたところで引退。しかし継承者がいなかったことから、ドメーヌを売りに出すことにしました。

アンリオ家の買収にあたり、当時、既にアンリオ家の所有となっていたブシャール ペール エ フィスの醸造チームでアシスタントとして働いてたセギエ氏がフェーブルの醸造責任者に抜擢されました。セギエ氏は、ジョセフ アンリオ氏と初めてフェーブルを訪問した当時のことをこう語っています。「初めて来たときから、このドメーヌがよい畑を持っていることは明らかでした。また畑には1940〜1960年代に植えられた区画が多くあり、この点でも非常に恵まれていると感じました。でもその畑、ブドウの木の質とワインの質がつり合っていないということにも気がつきました。」
この時から改革が始まります。元々持っている素晴らしい畑を生かし、完璧なブドウを収穫するためには、より細かな作業を正確に、丁寧にする必要があると考えました。まずは畑で働く人の人数を増員、また設備面の充実も図り、現在では約80に分けられた区画をすべて別々に醸造できるだけの設備を導入し、シャブリを代表するドメーヌとしての地位を確立しています。


レリス畑レリス畑

セギエ氏と情野氏
情野氏とセギエ氏

情野氏:近年ではビオロジックを導入しているそうですね?

セギエ氏:7〜8年前から初めています。まずは2006年ヴィンテージで、日照条件に恵まれ病気の出にくいモンマンとヴァイヨンの一部の区画で試験的に始めました。そして、2011年からはドメーヌの畑はすべてビオロジックとなりました。

情野氏:ビオディナミも一部導入していると聞いていますが?

セギエ氏:2010年からビオロジックの区画の一部でビオディナミを始め、グランクリュの畑のある右岸で区画を増やしています。

情野氏:何か変化は感じていますか?

セギエ氏:ビオディナミは細かな作業の積み重ねで長く時間のかかる方法。シャブリのミネラルを上手に表現するためにビオディナミを実験的に採用してみましたが、その成果は出ていると感じています。

情野氏:ビオロジックやビオディナミへの転換は、誰が決めたことですか?

セギエ氏:決めたのは自分です。元々私も栽培責任者も環境のことを常に気にしていましたので、2006年に小さな区画でビオロジックを始めた時から、「いつかは全区画で・・・」ということは話していました。それがやっと実現したことになります。

レクロ畑の樹
レクロ畑の樹

フェーブルでのビオロジックの採用は、少なからず同じアンリオ家の傘下にあるブシャール ペール エ フィスにも影響を与えており、フェーブルが全区画をビオロジックに転換したことで、ブシャールでもビオロジックの区画を増やしていく方向に向かっているといいます。

セギエ氏:フェーブルの畑は半径2〜3キロのところに点在していて、一つ一つの畑を見て回ることも、コートドールとは違って容易にできたことが、ビオロジックに転換できた大きな要因のひとつだと思います。ビオロジックでは、畑をよく観察し対応していく、というスピーディーさが非常に重要ですから。
良質なワインを造るためには美しいブドウが必要と考えており、そのブドウを収穫するための1つの方法、アプローチとしてビオロジックを採用しているだけです。そのため、今のところ今後もビオロジックの認証をとることは考えていません。

先代から素晴らしい畑を引き継ぎ、シャブリを代表するドメーヌとして確固たる地位を確立した今でも、ウィリアム フェーブルは進化し続けています。

第2回「2012年ヴィンテージ、フェーブルの醸造責任者として」へ

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