ブシャール ペール エ フィスの輸出・広報担当である西山氏から、
収穫情報などブルゴーニュの「今」をお伝えする情報を
お届けします。

私事ですが、正式には9月より(非公式には7月より)、ブルゴーニュのブシャールとシャブリのウイリアム・フェーブルに加えて、シャンパーニュのアンリオも担当することとなりました。
同じオーナーのワイナリーですし、アンリオはピノ・ムニエを使わないメゾンですから品種構成も同じということで…今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
カタコトのフランス語の一般日本人観光客を装い、ランスにあるメゾンを訪問するなど、今年の夏休みは1週間をシャンパーニュで過ごし、少しずつ準備を進めてきました。
スタニスラス氏とジョセフ氏
そして、10月18日から次期当主であり、ジョセフ・アンリオの次男である「トマ・アンリオ」と共に来日をいたしました。
滞在中に長男でアンリオの顔であった「スタニスラス・アンリオ」の去就について数多くの質問を受けましたので、この場をお借りしてお話をさせていただきます。
ご存知の方も多いと思いますが、スタニスラスはアンリオを去りました。その理由については正式な発表を控えておりました。スタニスラスは、以前からチャレンジしたい他の分野の仕事があったそうです。しかし、ファミリー企業を経営する一族の長男ゆえの宿命を感じ、家業を継ぐ覚悟を決め、アンリオの名声を高めるのに大きな貢献をしてくれました。
特に海外でシャンパーニュのアンリオの名声は彼がもたらしてくれたことが大きいでしょう。
日本でもお馴染みの文字通りの「顔」役でした。
ただ、前々からチャレンジしたかった仕事のことがやはり頭から離れず、父であるジョセフに打ち明けたところ、「長男だから家業を継がねばならないという時代ではない」、「子供のやりたい事を尊重させてやれる父でありたい」というポリシーの持ち主であるジョセフは、彼の意思を尊重したとのこと。ジョセフとしては、父として当然の判断をしたまでで、いたって家族のプライベートの事情のため、グループを去るという事実だけ述べ、詳しい内容に関しては一切触れなかったとのことです。
トマ・アンリオ氏
さて、次期当主であるトマ、仕事とはいえ日本滞在を満喫していたご様子。到着翌日が日曜日だったので、銀座や浅草巡りをしてきました。とにかく感情が豊かで、人間味のある方です。ただ、ツボにはまると笑いが止まらなくなるので、セミナーや試飲では極力笑わせないように配慮しました。
好き嫌いがなく、美味しいものが大好きで、笑い上戸。有楽町のガード下の飲み屋も楽しんでおりました。嫌いなものや食べられないものがないか、という話をしたところ、アルゼンチンでの山奥でどこをすくっていいかわからないほど虫が浮いているスープはさすがに無理だったと。。。
ワインの業界に入って間もないですが、非常に意欲的で頼もしく感じました。
1週間の滞在で話し方がジョセフに似てきて、最終日のディナ−のスピーチでは瓜二つに。どこぞの国の王子様と勘違いされる程のカリスマ性も同じ。
年に1度は日本へ行きたいと申しておりましたので、今後お目にかかる機会が多くなりますが、温かく迎えてくださいませ。
【西山 雅己氏】
サントリー「カーヴ ド ヴァン」勤務後、2001年にフランスに渡り、プロヴァンスのワインショップで研修。
2002年CFPPA(国立農務大臣認定ワインプロフェッショナル養成機関)研修時に、ブシャールとフェーブルにて研修。
2003年日本人初の正規採用となり、ブシャール ペール エ フィスとウイリアム フェーブルの輸出・広報担当を担当している。
2010年からはシャンパーニュ アンリオの輸出・広報担当も兼任。