Prieuré-Roch
概要
1988年、アンリ・フレデリック ロックにより
創立されたユニークなドメーヌ。
1988年に早逝した彼の後を
共同経営者だったヤニック シャンが率いる。
馬も通れそうなほど大きく重厚でありながら、空の青さと同化するようなスカイブルーの扉が象徴的だ。ニュイ・サン・ジョルジュの名門ドメーヌ プリューレ・ロックである。
2018年に惜しまれながらこの世を去ったアンリ・フレデリック ロックが創立したドメーヌで、現在は、アンリ・フレデリックの右腕として活躍したヤニック シャンが代表を務める。
ドメーヌは、創立当初の1988年はヴォーヌ・ロマネにあったが、現在はオフィスと醸造設備、樽貯蔵庫をプレモーに移転している。
アンリ・フレデリックは、マダム ルロワの甥にあたる。ルロワ一族でありながら、挑戦的なワイン造りを実践し、かつてはドメーヌ ド ラ ロマネ・コンティ(DRC)の共同経営者としても名を馳せた。
また、その意志や思想は、現在のヤニックはじめ、ロックのワイン造りに関わる全ての人々にしっかりと継承されている。
畑と造り
700年以上前にシトー派の修道士が行っていた
ブドウ栽培と醸造法を復活。
ニュイ・サン・ジョルジョと
ヴォーヌ・ロマネを中心に
計15.4haの畑を所有。
ドメーヌ プリューレ・ロックの畑はドメーヌのあるニュイ・サン・ジョルジュとヴォーヌ・ロマネを中心にコート ド ニュイからコート ド ボーヌに約20haに広がり、3つのモノポールを有している。
■畑情報
ワイン名 |
村 |
面積 |
クロ デ コルヴェ |
ニュイ・サン・ジョルジュ |
5.2ha |
クロ デ ザルジリエール |
ニュイ・サン・ジョルジュ |
0.7ha |
クロ ゴワイヨット |
ヴォーヌ・ロマネ |
0.6ha |
レ クル |
ヴォーヌ・ロマネ |
0.6ha |
レ スショ |
ヴォーヌ・ロマネ |
1.0ha |
オート メズィエール |
ヴォーヌ・ロマネ |
0.6ha |
クロ ド ヴージョ |
ヴージョ |
0.6ha |
クロ ド ベーズ |
ジュヴレ・シャベルタン |
1.0ha |
クロ デ ヴァロワル |
ジュヴレ・シャベルタン |
6.0ha |
ガメイ(コトー ブルギニヨン) |
グラピニィ(ヴォーヌ・ロマネの隣) |
ガメイ:0.3ha |
ルージュ(コトー ブルギニヨン) |
ピノ ノワール:0.6ha |
ブラン(ヴァン ド フランス/コトー ブルギニヨン) |
シャルドネ:0.5ha |
ラドワ ル クル
ラドワ クル ブラン* |
ラドワ |
ピノ ノワール:2.2ha |
シャルドネ:1.0ha |
ドゥスュー レ ゴラルド |
サヴィニー・レ・ボーヌ |
ピノ ノワール:1.2ha |
シャルドネ:0.4ha |
|
合計 |
22.5ha |
*ラドワ クル ブランは糖度がラドワAOCの規定まで下がらなかった年はヴァン ド ターブルに格下げして、「ヴァン ド ターブル ブラン」としてリリース(2010、2011、2014年)
クロ デ コルヴェ(プルミエクリュ)/ニュイ・サン・ジョルジュ
ロックの旗艦銘柄であるクロ デ コルヴェの畑はこの熟成庫から歩いて3分もかからないところにある。
十字架の石碑が、畑の最も高い位置に象徴的に佇んでいる。
ブルゴーニュのクロ(囲まれた畑)には、十字架を掲げるという伝統もあるが、この十字は92年に亡くなった兄、シャルル ロックに献じられ2000年にアンリ・フレデリックが建立したものだ。ニュイ・サン・ジョルジュの石で作られているという。アンリ・フレデリック ロックの名も新たに刻まれている。
クロ デ コルヴェの畑は、プリューレ・ロック所有のモノポール。この畑からは通常3つのキュヴェが造られる。
まずはクロ デ コルヴェの名でリリースされるワインである。これはミルランダージュが起こった極小ブドウだけを厳選して造られるフラッグシップワイン。
残りのブドウは樹齢によって2つに区別される。 樹齢「70年以上」のものと残りの樹齢「45-55年」のものである。前者の「樹齢70年以上」のブドウで造られたワインは「プルミエ クリュ ヴィエイユ ヴィーニュ」の名でリリースされる。そして「樹齢45年-55年」で造られるワインはシンプルに「プルミエ クリュ」の名でリリースされる。
上記が基本的な考え方なのだが、年によっては造られるキュヴェが異なることもある。2016年や2020年のように、クロ デ コルヴェ畑のブドウを全てアサンブラージュして1つのキュヴェ「クロ デ コルヴェ VV」のみが造られる年。または2012、2013、2017年のように、ミルランダージュした「クロ デ コルヴェ」のキュヴェと「樹齢70年」と「45-55年」のブドウをアサンブラージュした「プルミエ クリュ ヴィエイユ ヴィーニュ」の2つキュヴェのみをリリースする年もある。型どおりではなく、その年のブドウの状態に応じたワイン造りを行っているのだ。
5世紀の歴史を経て、再び1つの畑となったクロ デ コルヴェ
- 14Cアジャンクール家の単独所有→この後、細かい区分へ分割相続
- 15C末〜18Cプレモー村領主のマシュコ家が3世紀かけて土地を少しずつ買い戻す
- 1789年フランス革命により、再び細かい区画で相続される
- 19C中頃ニュイ・サン・ジョルジュのネゴシアンが再度土地を買い戻す
- 1931年グアション将軍が最後の区画を手に入れる
- 1973年コンコルド初飛行記念式典で1967年ヴィンテージが供される
- 1995年アンリ・フレデリックが所有者となる
クロ ゴワイヨット/ヴォーヌ・ロマネ
この畑は、コンティ公が所有していた畑。
実はアンリ・フレデリックが “クロ ゴワイヨット”の畑に足を踏み入れた瞬間に、『ワイン造りに携わるのは運命』と直感的に感じたのが、このドメーヌの起源であった。当時、彼の母、ポリーヌ ルロワは“クロ ゴワイヨット”の畑を4分の1しか所有していなかったが、これを機にどんな手段を使ってでも畑を全て手に入れなくてはならないと決意し1987年に売り出した際に取得。モノポールとして1988年よりワインを造り始めた。
アンリ・フレデリックのワイン造り
アンリ・フレデリックは古文書を研究し、700年以上前にシトー派の修道士が行っていた、ブドウ栽培 醸造方法を復活させた。彼曰く、「これは微生物を活性化させることにより肥沃な土壌を維持し、宇宙の摂理と調和を目指した栽培方法である」と、このいにしえから伝わる農法に確固たる自信を持っている。
ドメーヌ設立当初よりビオロジック栽培を実施。除草剤などの農薬や化学肥料は一切使用しない。また肥料自体をほとんど使用していないが、使用する場合は有機肥料(ブドウの若枝とワインの搾りカス、牛糞などを寝かせたもの)、つまり“生きている”肥料しか使用しない。
全房発酵
ロックのワイン造りを語る上で重要な要素は「全房発酵」であると言う。いわゆるロック香と言われるこのドメーヌの独特の風味の基礎は全房発酵抜きには語れない。全房発酵はブドウの果実の内部で発酵が開始するため非常に多くの香りの前駆体が生じ、果実味に富み複雑味のあるワインが出来るとヤニックは語る。それゆえ100%全房発酵にこだわっている。
ミルランダージュ
また、クロ デ コルヴェの例がわかりやすいが極小ブドウであるミルランダージュを重視している。そのため、マサル セレクションでミルランダージュの出やすい株を厳選し、高樹齢の樹を大切にしている。彼らがこのミルランダージュの力に気づいたのは2002年のことだったと言う。この点に関してはこの後のインタビュー動画を参照されたい。非常に生き生きと語ってくれている。
SO2の不使用と衛生管理
シトー派時代のワイン造りでは当然SO2は用いられていなかった。そのため、ドメーヌ プリューレ・ロックでは衛生管理は最優先事項となる。2012年に新しい選果台を導入し、良質で健全なブドウが得られるようにした。また空気や雑菌と触れる可能性が高まるため2005年にはポンプの使用を廃止。2003年からは熟成中の樽試飲を一切廃止した。空気などワインの質を損なう恐れのあるものとの接触を徹底的に排除するためである。したがって、ワイナリーを訪れても樽塾庫に足を踏み入れることは許されない。
ワイン
「私のワインを飲みなれた人なら
果実味、素直なおいしさ、丸いタンニンから、
これはプリューレ・ロックだなと
思うかもしれません。」
(ヤニック シャン)
ニュイ・サン・ジョルジュ クロ デ コルヴェ
(左)
ヴォーヌ・ロマネ クロ ゴワイヨット(右)
そのユニークな造りから生まれるワインはロック香とも言われる独特の風味を放つ。決して濃くはない色調ながらタンニン分も十分感じられる。
その上に梅やシソ、上質な出汁を思わせる香りが広がる独特の世界。
カツオ、わかめ、シイタケ、小魚などでとる出汁の風味とも良く合う程である。
ニュイ・サン・ジョルジュ クロ デ コルヴェ
ミルランダージュしたブドウによる力強さと凝縮感が味わえる1本。しっかりとした骨格、深み、肉厚で非常に長い余韻がテロワールの個性を表現した秀逸なワインです。
ヴォーヌ・ロマネ クロ ゴワイヨット
0.55haのモノポール。平均樹齢約50年。アンリ・フレデリック曰く、ヴォーヌ・ロマネで最もバロック調(動的 開放的 絢爛)を思わせるようなワインを生み出す畑。ヴォーヌ・ロマネAOPではあるが、村名を凌駕するポテンシャルを持ち、ドメーヌの思い入れの深い畑。
トリュフやコショウなどの複雑な香り、ビロードのようななめらかさ、ヴォーヌ・ロマネ特有の緻密なタンニンを持った芸術的な味わいのキュヴェです。
フィロソフィー
「テロワールの声に従うのです。
我々の役目は助産師なのですから。」
(ヤニック シャン)
徹底した細部まで配慮したワイン造りをし、雑菌の混入を避けたいということで、樽熟庫への案内してもらうことは叶わなかったが、ドメーヌに戻りその唯一無二のスタイルについてヤニックから話を聞くことができた。
エクスペリエンス
ヤニックシャンは言う
「アンリ・フレデリックが創設した
ドメーヌの栄光を守りながらワインを造り、
新しいワインも手掛けることが出来た。
このことをとても光栄に思う。」
ヤニック シャンに話を聞くことが出来た。くつろぎながらも質問に対して真摯に応えてくれる姿が印象的だった。彼の言葉の端々に今は亡きアンリ・フレデリック ロックへの特別な感情が感じられた。彼は師であると同時に友人でもあった。
そして、改めて考えてみる。アンリ・フレデリックは型破りな人だった。ドメーヌ ド ラ ロマネ・コンティの系譜に属す人だ。しかし、大胆で一見リスキーにも思えるワイン造りを始めた。彼が見せたビジョンは後にドメーヌ ド ラ ロマネ・コンティにも影響を与えたと言えるだろう。
インタヴューの後、ヤニックがワインを振舞ってくれた。ザルトに注がれたワインはみずみずしさと美しさを湛えていた。ヤニックを通じてアンリ・フレデリックの精神は今も息づいている。